「日本的経営はこれからも続く」
お金で計れないような価値をどう思うか?と問われて、「それに何の意味があるのか。逆に教えて欲しい。世の中お金で買えないものはないし、お金の前ではすべて平等です」と豪語した、あのホリエモンが、裁判の被告としてマスコミに戻ってきた。阪神株を買いまくり時代の寵児ともてはやされた村上氏も同じ立場だ。二人とも強く無罪を主張している。果たしてどうなるだろうか。
しかし、はっきり言えることは、彼らは罪を問われていることとは別の意味でも、やっぱり間違っていたということだ。経済社会に大きな衝撃を与え、現状に安住する経営者に株主価値の大事さやTOBの考え方を教え込んだのは彼らの功績だ。また起業する意欲をもつ若者に希望を与えた先駆者だったことは、これからも語り継がれよう。だが、経済を動かすのは、長い時間をかけて築かれた人間の集団であるという認識において、彼らは大きな間違いを犯し、失敗した。彼らは、人と集団を大事にする「日本的経営」に逆らって、結局それにつぶされたと言っていい。
一部の人たちには、平成18年の夏はひとつのTOBの失敗によって記憶されるかも知れない。製紙業界の最大手メーカー(王子製紙)が、技術力のある下位企業(北越製紙)に大々的なTOB(株の公開買い付け)を仕掛けたものの、徹底的に抵抗され、あえなく失敗に終わるという例の騒動である。正々堂々の敵対的買収策で、この騒動が始まったときは、ついに日本にも、株主価値の真の向上を目的として、企業を売買する時代が来たとも言われた。しかし、王子は、相手の経営陣はもとより、大多数の株主、従業員たち、取引先、そして立地する地元応援団などを、ついに説得することは出来なかった。筆者には、これも、買収側が、相手の「日本的経営」の中枢部分(=人の部分)を甘く考え、それに反撃された結果だと思える。
だからと言って、日本の企業社会が変わっていないわけではない。この数年、経済は大きく変貌した。今や企業価値(業績)をたえず上げ、配当をしっかりする経営者しか、株主は許さなくなっている。リストラで鍛えられ、生き残った企業は、弛みない人材育成で育てた従業員も含め、必死になって、厳しい株主の要求に応えようとしている。収益を上げられない経営者は、即アウトで、サラリーマン経営者がのんびり、会社運営をしていた時代は遥か昔の話だ。
「日本的経営」も、それ自体が目的ではないことを強調したい。この10年、15年、いろいろ試行錯誤もした、しかし、このやり方が、長期に見てもっとも業績が上がる手法だということに、リストラの過程の中で、改めて経営者たちは気づいたのだ。その中心コンセプトは、「人は会社の中で育て、成長させる。安易に外部に頼らず、内部昇進を原則とし、日本的能力主義で成果を出させる」というものだ。とにかく人を大事にすればいい、というような単純、ヤワなものではない。時間をかけて育てた従業員が、知的財産の核として存在する筋肉質の企業は、お金と成果主義でやってくる会社に、簡単に負けるわけがないということである。
(06年12月 K生)
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